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東京地方裁判所 昭和40年(ワ)5110号 判決 1967年7月14日

原告 港興木材有限会社

右訴訟代理人弁護士 杉本粂太郎

被告 日興信用金庫

右訴訟代理人弁護士 懸植正雄

同 藤林益三

同 島谷六郎

同 山本晃夫

主文

被告は原告に対し、金二六、七〇〇、九八八円およびこれに対する昭和三八年一〇月二六日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払うこと。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決の第一項は原告が金五、〇〇〇、〇〇〇円の担保をたてたときは仮に執行することができる。

事実

(当事者の申立)

一、原告

「被告は原告に対し、金二六九七万九八八円およびこれに対する昭和三八年一〇月二六日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払うこと。訴訟費用は被告の負担とする」との判決および仮執行の宣言。

二、被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決。

(原告の請求原因)

一、原告は被告と昭和三二年一一月六日次の当座預金勘定契約を締結し、被告に金銭を預け入れた。

原告は被告に金銭その他の有価証券を当座預金勘定に預け入れること。その支払は原告の振り出した小切手の決済によって行われること。被告は原告の振り出した小切手の決済をする都度原告の当座預金勘定からおとすこと。

二、原告は被告と右当座預金勘定取引を開始するについてその振り出した小切手に使用する印鑑を被告に届け出てその印鑑を使用した小切手を原告の当座預金勘定からおとして決済することを被告に委託し、これと相違した印鑑を使用した小切手を原告の当座預金勘定からおとして決済しないことを約束した。後に、原告は被告に対し昭和三五年一〇月二一日右当座預金勘定取引について取締役野崎浩を代理人として原告取締役野崎浩名義で振出した小切手を原告の当座預金勘定からおとして決済することを委託し、これに使用する印鑑として別紙印鑑目録第一記載のとおりのものを差し出した。

印鑑の届出は取引者の届出印と照合して一致したもののみの支払をし、これと相違した印鑑を使用したものの支払を拒絶することによって、真実取引者の振り出したものであることの確認の方法を容易にして支払事務の円滑且つ迅速な処理を図るためのものである。

三、被告は原告が届け出た印鑑と相違した別紙印鑑目録第二記載のとおりの印鑑を使用した原告を振出人とする別紙小切手目録記載の各小切手を原告の当座預金勘定からおとして決済した。

四、被告の右支払は原告との約束に反したものである。すなわち、右は、被告の係員が右各小切手に押してある印影と原告の届け出ている印影とを照合しなかったかまたは相当の注意を払わなかった重大な過失によってしたものである。というのは、原告の届け出ている印影と右各小切手に押してある印影と一致しないことは直ちに判別しうる筈であるのにこれを見誤ってその支払をしているからである。押してある印影が不鮮明で照合がむずかしければ電話をかけるか呼び出すかして押し直させて確かめるなどの措置をとらなければならないのにこれをとらないでその支払をしているからである。

従って、被告は原告にその支払の効力を主張することができないものであるから、その支払をした金額を原告の当座預金勘定からおとしていないことになる。

五、右当座預金勘定契約は、原、被告が昭和三八年一〇月二五日これを合意解約した。

六、そこで、原告は被告に対し右のおとした金額の合計二六九七万九八八円とこれに対する右合意解約した翌日である昭和三八年一〇月二六日から右支払ずみまで商事法定利率による年六分の割合の遅延損害金の支払を求める。

七、原告が別紙小切手目録記載の小切手を振出したとの事実および野崎浩がこれを振出したとしても、同人がその権限を有したとの事実および原告がこれを是認または追認したとの事実および野崎浩がその支払を受けて原告のために支出したとの事実は否認する。

八、被告に過失があるとしても、被告は免責されるものであるとの主張は争いがある。

(被告の答弁)

一、第一項の事実は認める。

二、第二項の事実中、被告が原告と当座預金勘定取引を開始するについて、原告が届け出ている印鑑と相違した印鑑を使用した原告を振出人とする小切手の決済を原告の当座預金勘定からおとさないことを約束した事実は否認する。その他の事実は認める。

印鑑の届出は後記のためのものである

三、第三項の事実は認める。

四、第五項の事実は認める。

五、別紙主張第一、第二記載のとおり。

(立証)<省略>。

理由

一、原告の請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二、原告が昭和三五年一〇月二一日被告に取締役野崎浩を代理人としてその名義で振出した小切手を原告の当座預金からおとして決済することを委託し、これに使用する印鑑として別紙第一記載のとおりのものを差し出したことは当事者間に争いがない。

三、別紙小切手目録記載の各小切手に押してある印影が別紙第二記載のとおりのもので、原告が被告に届け出てある別紙第一記載のとおりのもので、原告が被告に届け出てある別紙第一記載のとおりの印鑑と相違していることは当事者間に争いがない。右の事実および<証拠省略>を総合すれば、野崎浩が原告取締役野崎浩の名義で手持ちの別紙第二記載のとおりの印鑑を押して右各小切手を振り出したことが認められる。

被告が右各小切手を原告の当座預金勘定からおとして決済したことは当事者間に争いがない。

四、<証拠省略>を総合すれば、

被告は預金者が手形または小切手を振出した場合に、その手形または小切手に押してある印影とあらかじめ原告が届け出ている印影とを照合して相違がないと認めたときは、その手形または小切手が権限を有するものによって振出されたものであることについて更に調査しないでその支払をしていること、そのような取扱いは一般に金融機関において商慣習として行われているものであること、被告が当座預金勘定取引について定めている約款には、そのような手続をとって手形または小切手の支払をしたときは事故があっても、被告はその責任を負わないものとする条項が定められていること、原、被告間にもそのような約款が取り交されていることが認められる。これによれば、当座預金取引について被告が小切手に押してある印影と預金者の届け出ている印影とを照合して相違がないと認めてその支払をしたときはその支払は原則として有効であると取扱われているのは、被告において小切手の振出人の権限を確認する方法を定型化して容易にしその事務の円滑且つ迅速な処理を図るためで、預金者が印鑑を届け出ているのはこのような預金実務の必要に応じたものであるとみることができる。

従って、預金者または預金者から授権を受けた者が振出した小切手が預金者の届け出ている印鑑と相違している印鑑を使用しているとしても、被告がこれを預金者の当座預金勘定からおとして支払をしたからといって、これが無効になるものでないことはいうまでもない。

原告主張の原、被告は、被告が原告の届け出ている印鑑と相違している印鑑を使用している小切手を原告の当座預金勘定からおとして支払をしないことを約束したとの事実を認めるに足りる証拠はない。

五、(野崎浩は代表者でない)

当時野崎浩が原告の取締役であったことは当事者間に争いがない。有限会社の取締役は原則として代表する権限を有する。ただし、当時原告は代表取締役に古知勝太郎をきめて登記していたことが<証拠省略>によって認められ、原告が被告に野崎浩を代理人として届けていたことは当事者間に争いがないので、代表取締役の古知勝太郎のみが原告を代表する権限を有するものと考えられる。従って、野崎浩は原告を代表するものではない。

六、(野崎浩は無権代理人である)

<証拠省略>によれば、原告の業務は古知政市が代表取締役古知勝太郎に代って一切をとりしきっていたこと、被告に届けてある印鑑は古知政市が保管していたこと、野崎浩が原告を代理して取締役野崎浩の名で小切手を振出す場合には、その都度必らず古知政市がそのことを承知してその保管していた印を押して野崎浩に交付したものを振出すことになっていたこと、野崎浩が原告主張の各小切手を振出すについては古知政市または古知勝太郎の承諾がなかったことを認めることができ、野崎浩は手持ちの別紙第二記載のとおりの印鑑を押してこれを振出したものであることと総合すれば、右各小切手を振出すについては野崎浩に代理権がなかったことを推認することができる。右認定に反する<証拠省略>は信用できず、他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。原告が代表取締役が被告に届けた「取締役野崎浩を以て拙者の代理人と定め貴金庫と手形取引(手形借、手形割引)当座勘定取引其他一切の取引を代理致させました」という書面(乙第三号証)は、原告代表者が野崎浩にそのような一切の取引をすることの代理権を包括的に与えたものでなくて、そのような代理権を与えたと被告に通知したにすぎないものと解するのを相当とする。

七、(被告は野崎浩が無権代理人であることを重大な過失によって知らなかった)

<証拠省略>によれば、原告主張の各小切手に押してある印影が被告に届けてある印影と相違していたにもかかわらず被告の係員がその相違に気がつかないで原告の当座預金から引き出してその支払をしたことが認められる。

そして、<証拠省略>によれば、原告が被告に届けた印鑑は別紙第一記載のとおりで中央に「取締役之印」の字が書かれていること、野崎浩が使用した印鑑は別紙第二記載のとおりで中央に「領収之印」の字が書かれていること、両者略同一の円形のもので、円周に沿って「港興木材有限会社」の小さな字が書かれていることが認められるが、これによれば、両者対比して照合すれば誰でも一見して容易にこれを見分けることができ、このような印鑑の相違は通常の銀行取引に決してみられるものではないから原告に問い合わせてこのことを確めるための措置をとらなければならないのに証人小野沢幸雄の証言によれば、被告がそのためになんの手も尽さなかったことを認めることができる。

これによれば、このような被告が金融機関として当然に要求される注意を払っていたならば、野崎浩に原告主張の各小切手を振出す権限がなかったことを知り得たであろうと推認することができる。

被告主張のように原告主張の各小切手の振出人として記載している原告取締役野崎浩の字の上に印が押してあったため充分にこれを見分けることができなかったというならば、その名下に押しなおさせて対照しなければならないのにこれを怠って慢然と対照したからといっても前示注意義務を尽したものとはいいがたいし、仕事の多忙をもって係員としての当然の注意義務が軽減されるものということはできない。

以上のとおりであるから、被告の係員が野崎浩に原告主張の小切手を振出す権限があると信じたことには重大な過失があったものといわなければならない。

従って、被告は野崎浩の行為について表見代理の規定をもって原告に対抗することはできない。

八、(被告は免責約款を援用することができない)

<証拠省略>によれば、原、被告は、「被告において手形、小切手に押捺された印影を原告の届出た印鑑に照合し相違ないと認めその支払をしたときはどのような事情があっても既になした支払は原告に対して効力を生ずるものにしてそのために生じた損害は被告でその責任を負いません」ととりきめて本件当座預金取引をしていることが認められるが、当座預金取引についてこのような取扱いがされるのは振出人の権限を確認する方法を定型化して容易にしその事務の円滑且つ迅速な処理を図るためのものであるから、そのものに権限のないことを知りながら支払をした場合はもちろん、取引上金融機関として当然に要請されている注意を欠いたためそのものに権限のないことに気がつかないでその支払に応じた場合にも、たとえ形式的にはそのような手続をとったものであっても、それによって責任を免れないものと解するのを相当とする。そして、被告は以上のようにこのことについて金融機関として当然に要求される相当の注意義務を欠いているものと認られる。

従って、被告は右の免責約款を援用して責を免れることはできない。

被告主張の本件のような場合でも金融機関は責任を負わないとする商慣習があるとの事実を認めるに足りる証拠はない

九、(被告は引受証および代理人指定証書を援用することができない)

<証拠省略>によれば、原告は被告に「取締役野崎浩の行為に関しては如何様なる故障生じますとも総て拙者に於て其責に任じ決して貴行に御迷惑御懸け致しません」という引受証および「取締役野崎浩を以て原告代表取締役古知勝太郎の代理人と定め手形取引並に之に関する一切の行為を代理致させました就ては右取引上同人の為したる行為より生ずる一切の責任は総て原告に於て負担致します」という代理人指定証書を提出していることが認められるけれども、これは被告が以上のような当然の注意義務を尽したときには免責されるというにあると解するのが当事者の合理的な意思にしたがうものである。被告に重大な過失がある場合でも免責されるというにあるとすれば、原告の経済的に弱い立場に乗じたものとして公序良俗に反するといわなければならない。

従って、たとえこのような証書があっても、以上のように金融機関として当然に要求される相当の注意義務を欠いた被告はそれによって責任を免れないものと解するのを相当とする。

一〇、被告は、原告は野崎浩の右無権代理行為を追認したかのように主張しているけれども、一部これに符合する<証拠省略>は信用できないし、ほかに右事実を認めるに足りる証拠はない。(乙第五号証の裏面の裏書欄に古知勝太郎を被裏書人とする記載があるが、その成立を認めるに足りる証拠はない)

一一、野崎浩が被告から原告主張の小切手の支払を受けて原告のために支出したとの点については、これに符合する<証拠省略>は信用できないし、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

一二、請求原因第五項の事実は当事者間に争いがない。

一三、従って、被告は原告にその主張の小切手の支払の効力を主張することができないものである。

この二点について被告は独自の主張をしているけれども、採用することができない。

よって、被告は原告の当座預金勘定からおとして決済した別紙小切手目録記載の各小切手金合計二六、七〇〇、九八八円およびこれに対するその合意解約した翌日である昭和三八年一〇月二六日から完済まで商事法定利率による年六分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

被告が原告その余の小切手金を原告の当座預金勘定からおとして決済したことを認めるにたりる証拠はない。

一四、そこで、原告の被告に対する本訴請求は右認定の限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し<以下省略>。

<以下省略>

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